(#001) 2003.08.05

え〜 復刻シリーズで 昔SOHO時代であったとき書いたものも載せておきます。

復刻第41弾!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2003.08.05 Vol.007 ━━━━━
 ☆☆★★★
 ☆☆★☆☆ 日刊「SOHOのツボ!」
 ★★★☆☆              http://www.soho-union.com/soho/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                                 配信部数 473部

 「ソフトエンジニアの雇われない生き方」(#001)   
                                                          福井修@Fsys

【○】本日のお題        就社 なのか 就職 なのか     ━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■■【 はじめに 】
────────────────────────────────────
こんにちは、福井システムリサーチの福井です。
SOHOのツボで「ソフトエンジニアの雇われない生き方」を執筆させて頂きます。

私は、ソフトエンジニアで、サラリーマンを12年やって、35才で独立して、
はや15年目になります。

「ソフトエンジニアの雇われない生き方」では、いかに1ソフトエンジニアが独
立してやってきたかの事例をいろいろ語りたいと考えております。

以下が予定しているテーマのキーワードです。
1.就社 なのか 就職 なのか
2.独立
3.お金
4.技術
5.人脈
6.家庭
7.顧客
8.社会の動向
9.使命感
10. 今後

私のつたない経験が、若いソフトエンジニアの方の参考になればと思います。
どうぞ よろしく お願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 就職 するまで
────────────────────────────────────
 私の経歴については、いろいろ書いたりしたもの 注1)を見て頂くとして、と
にかく 現在は、 福井システムリサーチ 主幹 という看板でシステム構築屋さん
を個人事業としてやっておりますが、ここでは、原点を振り返ってみます。

もともと 学校を選ぶ時点で、進路は、将来の就職を見回して決めてゆくのだと
思います。

私は、小学生の頃の作文では『船長さんになりたい』と書いていました。
神戸生まれ、神戸育ちで、港が近いので、見学に行ったときの印象で、大きな船
を指揮する船長さんは「カッコイイなあ」とあこがれていました。

中学では、卓球部だったのですが、暗い講堂で玉を追っていたせいかどうかわか
りませんが、目を悪くしてというか近視になって、この夢はあきらめました。

そして次に意識したのは「エンジニア」です。まあちょうど高度成長期であり、
日本の産業は、右肩上がりでまっしぐらでしたから、その流れに乗るのが順当と
の子供なりの選択があったのでしょう。親もそれを支持してくれましたし。

覚えているのが、小さい頃、海で砂遊びをして、堤防を作っては、波に壊され、
作っては壊されで、熱中して遊んでいたことです。

  『 物 を 作る こと 』

これこそが 私にとってなんか 楽しいこと、やりたいことの原点なのです。

というわけで大学は、工学部土木工学科 を選びました。

ちょうど昭和48年オイルショックがありまして、企業が新卒の採用を控える
という嵐が、50年、51年〜と吹きまして、土木の業界に就職するのは、難
しい状況がありました。私は、卒論が「交通需要予測の誤差推計」という計算
機をつかったシミュレーションがメインであったものですから、その当時まだ
まだ新興のソフトハウスに入社致しました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 就社 なのか 就職 なのか
────────────────────────────────────
 入社して、すぐ おおみか工場 という知るひとぞ知る日本有数の制御システム
のメッカのひとつに派遣されまして、ここで、各地に出張も多い生活で7年ほど
修行を積みました。
まだ『鉄は国家なり』の時代でしたが、鉄の制御システム構築で、数々プロジェ
クトをこなしまして、今でもこの時代の経験が、基礎になっています。
残業240時間とか、まあすごい世界でした。ここらあたりの話は、またどこか
で機会があれば。
その後、茨城県から千葉県へ引っ越しまして毎日蘇我駅から製鉄所まで通う日々
を過ごしました。その頃は新検見川に住んでおりまして、新宿本社にも少し通い
ました。まだ20代後半から30代になって、設計バリバリの現役であったのが
いろいろ管理の仕事もまわってきて、『 物を作るエンジニア 』から徐々に、会
社の『 中間管理職(マネジャー)』にキャリアパスが進んで行ったわけです。

ここらで、「就社 なのか 就職なのか」というテーマが徐々に頭をもたげます。

自分のやりたいことは「システムエンジニアとしてシステムを作ること」なのか
会社のために「マネージャとして業績(数字)を上げること」なのかの選択ですね
。

ちょうど神戸の仕事で関西の事業所から、東京に「誰かいないか?」という打診
があって、私はできれば両親の居る関西に戻りたいという「帰巣本能」があった
ものですからその話に乗って、「マネージャ」から「エンジニア」に戻って仕事
する選択をしました。

神戸での3年のプロジェクトを終え、1)東京へ戻るか(所属はもとのままであ
った) 2)関西に移るか 3)別の選択 を迫られることになり、いろいろ考えま
したが、この時点で、第3の選択をする決断をしました。

ちょうど時はバブル真っ盛りで、ほんとうに「株だけで食っていけるのではない
か」と本当に思いましたし、何とでもなるだろうと楽観していました。

当時考えたことのひとつは、

「 どおせ いつかは、退社する。それが早いか遅いかだけ。」

そして
「 自分のやりたいことを自分の責任でやるのが、自分の人生。」

さらにちょうどパソコンPC9801が普及し、これからのコンピュータは、PCの時代
がきっとやってくるという予感があって、「大規模なシステムは、大きな会社で
しかできないが、小さなシステムは、個人でもできる」と見通しを立てました。

ですから
「 私は、システムを作るという仕事を選択したのだから、その仕事をずっと続
けよう。」
という路線を再確認し、自分に納得したわけです。

本日のツボ

   『  仕事に就くということは 「就社」 でなく「就職」  』



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※ 注釈、資料、参考情報
────────────────────────────────────
注1) http://fsys.net/lms/docs/lms20020526.txt に経歴一部
     「デザインとプログラムはWebシステムの両輪」
     http://www.dhw.co.jp/melmaga/mail/campus/008teacher.html

========================================================================
【プロフィール】
福井 修 ( FUKUI Osamu )o-fukui@po.iijnet.or.jp
福井システムリサーチ http://fsys.net/  主幹。システム構築歴27年。
システム構築エキスパート
日本リヌクス協会、神戸商工会議所情報処理学会 会員
関西ソーホ・デジタルコンテンツ事業協同組合デジタルハリウッド三宮校 Java講師